多様性な時代とは、社会がますます「個」の存在に焦点があてられ、その確かさが問われるという事だと思います。
標準的な没個性とも言えるようなことは、商品に対してはコモディティと言われますが、ひとにも言えると思います。
ポストコロナとは、コロナ後のことを指しますが、今回このコモディティの後に残っているひとや物を考えようと思います。
言わば、生き残る策のようなことだと思います。
【今の拠り所はなんでしょうか?】
商品でも、人生設計でも、そして経営でもなんらかのお手本や指標や根拠があると思います。
少し話を絞っていきますが、例えば新商品開発があったとします。
その際によく求められるのが「高級感を持たせたい」。
この高級感の根拠というか、拠り所は何だろうかと思うわけです。
その商品が一般的な高級品のカテゴリーに入っているのか、希少性があるが故に高級なものと設計できるのか。
自社店舗を持たない多くの中小企業にとって、販売委託先であるお店の棚に、その商品が並んだ時に「高級感」を持たせて手に取ってもらいたい、というのが「今の高級感を持たせたい、の根拠」と思います。
この思考の拠り所を起点とし、商品のデザイン設計をしても、その多くは埋もれます。
委託先のお店も販売不振の商品をいつまでも置いておくわけにはいけませんし、製造元も時間、労力、費用をかけて作ったのに、最終的な表現の段階で、自らコモディティ路線を選択している、と思います。
言い過ぎかもしれませんが、その商品設計の起点が間違っていると思います。
【どれだけ捨象できるか】
捨象(しゃしょう)とは、本質的なものではない要素や側面を切り捨てる事。
この考え方は、商品やひとにも言えるのですが、どれだけ本質的なことを深掘り出来て、それ以外を持たないようにすることです。
裏を返せは、それだけ過剰な物、情報が多いといえますし、それらを選択する、インプットするときに「それは本質的な事に則しているのか」という問う事を求められます。
新商品開発でも、その商品の本質的な事や普遍的な要素をどれだけ言語化し、それ以外は要らない、くらいの意志で設計していかないと、あの店舗ではあれが人気だ!とか有名人がオススメしていた!とかいわゆるトレンド情報に惑わされます。
言い過ぎかもしれませんが、これから新商品を開発し、世に出そうという時に、それらの異分子的な情報をチラ見する程度にしておかないと、生活者にとってどっかで見た事のある商品にしか映りません。つまり、スルーされます。
こういう話をクライアントさまに勇気を持って進言していますが、やはり量的に測定できる経営指標を拠り所にしているクライアントには怒られます。
それでも、笑顔な野蛮人のように振舞い、必死でお伝えしている。
そんな毎日の繰り返しですが、実は少しづつ業種が違うクライアント様から、話をしに来てくれ、と言われえる回数が増えてきました。
次回は、その辺りをご案内したいと思います。