【肯定することの難しさ】セルフアウェアネスを習得する

【自分のことをどれだけ知っているだろうか】

あの人は、自己肯定感が低いとか言いますよね。
周囲の人たちが、ある特定の人の事を評価する際に使われたりはしますが、自分で自分のことを肯定することはあまりないと思います。
「まっいいか」とか「オレって良くやったよ」ともちょっと違う気がします。
そもそも、オレって今、肯定してるなぁ~に近いのは、目標やテーマを達成した時に、その苦労したプロセスに対して肯定する
のではないでしょうか。

特にそのテーマの難易度が高かったり、直ぐに到達できないほどの視界不良だったりした後の、「見つけた感」、「納得感」は
計り知れない興奮と満足感に覆われます。

セルフアウェアネスとは、自己認識の理解度を言うのですが、自分とはこんな性格であり、こんな弱点や強みがある。
だからこそ、目標やテーマを探求し到達する為には、なにをすべきか。
そして、情報過多ですから、何をしないかを自分できめていくのですが、それにはまず、自分に「おい自分よ。まず落ち着け」と
座禅するような呼吸から始めると良いと言われています。

【自分を落ち着かせる】

テレビやスマホ。そして、僕の場合、気になっている本とか予定ノートも一切遮断します。
そして、静止している「モノ」に意識を集中します。
動かないモノを数分眺めて、いくつかの疑問を投げかけます。
なぜ赤いのか?なぜお香の左に在るのか?なぜコーラなのか。ペプシが手に入らなかったのか。
それにしても、瓶のコーラは美味いよな。
そろそろ、ほかの植物に変えようかな。何がいいかな。色はどんな色がいいかな。それらを以て、この空間から「何を表現させようか」などをサラサラと考えているうちに、呼吸が落ち着き、目が思考モードの眼つきに変わっていきます。
それを、自覚することで、周囲とは目に見えない薄いバリアのようなシールドが張られる気がするのです。
このシールドの名前は、鵜呑みをしないシールド君と言います。

【見る力を鍛える】VTS:Visual Thinking Strategy

経営者として、市場の動向、数値管理、他社や社内の動きなど「見る」、「観察する」ことはとても多いわけですが、この見る力を随時鍛えていかなくてはならない時代のようです。旧態依然とした経験値に基づく営業活動の設定ばかりでは先行きが厳しくなる可能性が非常に大きいと思います。
「経験値」と書きましたが、自分が誉だったころのせいぜい数十年の知見に依拠したものがほとんどです。
誰しもその辺りは同じだと思いますが、誰しも同じであるという事は、そこを突き抜けて未踏領域を創り出すような思考力は、鍛えなければ習得できないと思います。
それも、能動的に鍛錬していく、という事です。
戦後80年かけて増えてきた人口は、諸説あるでしょうが、80年かけて減っていきます。
息の頃為にも、見る、感じる、言葉にしていくことを毎日ちょっとづつでもやって行かねばなりません。

【松林図屛風から考えること】

濃淡のある松の木が屏風に描かれています。
それも、唐津のように生い茂ってはいません。
余白が在り過ぎるくらい在ります。美術の感想には、正解というか、ひとそれぞれだと思います。
あえて言いますが、わたしがこの屏風から感じられることは、「自分の思考の至らなさ」「浅はかさ」はないのか?と自省するような感覚を覚えます。
くれぐれも、あくまで私が思うことですのでご勘弁ください。
もう少しマニアックな事を言うと、この松の木の中に、自分を立脚させてみるのです。
そうすると、勝手に物語が頭の中に浮かんできます。
松の木に囲まれた私は、まるで伊勢神宮で内宮までの道を歩いているような記憶と重なって、先ほどのコーラの花瓶とはけた違いに、クライアントの為に100%ではなく、150%考えよう、と至るのです。

このように、けっこう大事なこととは、予想もしない遠い記憶から、ゆっくりと表れてきます。
おそらく、無心になることはできないけれども、一心に整うことだと思います。

今回のブログは、「へぇそうなのね」で終わりそうに思えるかもしれませんが、この思考を起点とした「組む事を前提とした集合体」の基礎工事のようなものになります。

一緒に組むことで、社会の課題が解決できるような、そんな集合体を作ろうと思います。