【佐賀でも、応援経済を実装できるか】
最近、脚光を浴びている岩手県のヘラルボニー。障害を持つ方の作品が企業とコラボして世にどんどん出てきている。
画像は、特別支援の講師として働く、カミさんの元教え子が描いた絵をトレーナーにして販売していたものを購入したもの。
独特である。いったい何を描いているのか分かりませんが、この絵を描いた人には、何かがそう見えていたのでしょう。
アートや絵心とは全く無縁の私ですが、なんというか「スルー」できないものを感じました。
社会へのアンチテーゼを感じるわけでもなく。
何かしらの「問うこと」のテーマ性を感じるわけでもない。
つまり「ワレ、こう見えてしかたないのよ」をそのまま描いた、と言えるのではないでしょうか。
描いた人が何の障害をお持ちなのか、分かりませんが、ひょっとしたら、一番こころがフラット状態を維持
している方々なのかもしれません。
そのフラット状態な感覚の一部を切り取ったら、こういう絵が描けるのかもしれません。
これって、なかなかできないことだと思います。
コピーライターはその性質上、対象や事象の良い側面を見出していきます。
対象とそれを見る人の双方のあいだに陣取り、真理を探り、思い出してもらいたい情景を言語化していきます。
つまり、なんらかの意図が駆動している状態なので、とてもフラットとは言えません。
そのピュアの結晶のような感覚が、「スルー」させないのだろうと思えてなりません。
障害者を応援する余裕はない、と決めつける前に、やれそうなことを、誰かと組むことでできそうな予感はします。
【安(あん)とは何か】スピノザを読んで示唆を得る
安心、安全、安堵、安泰の「安」。
語源は、「家にいる事のやすらぎ」を意味するようです。
「うかんむり」に「おんな」と書きます。なんとなく、理解できそうな感じがします。
スピノザは17世紀のオランダの哲学者です。詳細は割愛しますが、本質をコナトス、力だと教えています。
一部引用しますが、元大リーガーのイチロー選手の才能を引き出したのが、仰木監督だったというのです。
打撃コーチ陣が、その独特のフォームを改善しようと助言をするなか、仰木監督だけは、イチロー選手の本質の力を見抜いて、フォーム改良に進言はしなかったと言います。
つまり従来の「型」ではなく、イチロー選手が持つ、力の性質はとはどんなものか、という思考を進めていったと思われます。
平たく言えば、見た目だけで判断せず、対象が持つ異才の根源を探る、という感じでしょうか。
このような独特のフォームを承認してあげた時に、無意識レベルだと推測しますが、イチローさんのこころの中にまず「安」が生まれたのではないでしょうか。
その「安」の持つ性質を、佐賀の企業が障害者へ提供することで、彼らにしか表現できない異彩が広がっていくと思います。
売上や前年対比、企画提案、コンテンツ作り、新商品開発など実社会では、破壊に近いような消費を喚起することに、どうしても企業として、事業として生き残っていくためには、避けられません。
虚無感を抱えたまま、限界成長へと、なかば惰性的に進んでいくしかありません。
しかし、それでも岩手県のヘラルボニーの偉業から得られるヒントを、注視していくことは、現在のKPIとも言えるのではないでしょうか。
大手の、都会の誰かがやるのではなく、佐賀の企業だからこそやれそうなことがあると思います。