【Re の時代】なにを伝えるのか

和とは何か

和服に対して、洋服。
和室に対して、洋室。
和食に対して、洋食。
倭人から和人、そしてちいさいアメリカ人へと。

まず、いつものように現状を観る。そして「なしてそうなん?」と無邪気に不思議がる。
カステラは和菓子なのか?
ようかんはなぜ「羊」と書くのか。
そもそも、食べ物、着る物、住む環境に「和」と冠をつけなければならない理由はなんだろうか。
「和とは何か」を知ることから、「Re」は語らなければならない、と思います。
詳細は、本のネタバレになりますから割愛しますが、ざっと言うと、急激な文明化の明治維新の「ツケ」という感じでしょうか。
いいとか、悪いとかは、もはやその辺りを論じても誰からも相手されないので、書き記しはしません。
がしかし、何かを語るときは、ここを起点としないと、薄いものしかできあがりません。

リメイク、リノベーション、リサイクル、リフォーム。
リディスカバリー、そしてリシンク。

つまり、Re think 今一度、考え直してみる、ということですね。



だれに伝えるのか

その商品やサービスを考え直してみる。
例えば、わざわざ高い料金でプロの写真家に依頼せずとも、それなりの写真がスマホで撮れてしまいます。
そのスマホの高性能なスペックがなかったころは、時折かしこまって、街の写真館に行っていました。
確かに、プロに依頼する機会は減りました。
それでも、依頼する理由が相対的に減ってきてはいるものの、「依頼する理由」をRe thinkしていくと、少しずつ見えてくるものがありました。

じつは、この考えは、いずれ企画としてやっていこうと思っているので、ブログに上げるのをちょっと躊躇しましたが、まあそんなに読んでいる人もいないだろうし、真似されてもぜんぜんいいし、そもそも、写真は撮れても「物語として書けるのか」という壁が立ちはだかります。

どういう企画か。
「1枚の個人史」
本当の記憶は、スマホにはない。

写真は、その時々のシーンを切取ります。
写真館や集合写真はどうしても、意識が「きれいに映らなきゃ」とか「ハゲが目立たないように確度は・・」とか、ややディフェンス的な「ちいさくまとまる」ように整えられた写真になりがちです。

で、それを踏まえてちょっと具体的に言いますと、余命数年の入院中の父がいます。
孫は、他県に居て、なかなか会う機会は少ない状況です。
せいぜい帰省した時に「お見舞い」という形で会いに行く程度です。
そのタイミングで、父を真ん中に置いた写真を撮る。
厳密に言えば、撮ってもらう。
ポーズを構えるのではなく、父に話しかける、それに呼応する父。というなるべく、撮影される対象が、父に向いている写真を撮る。
数枚撮り終え、その中から、これぞ、という1枚をそれぞれ選んでもらう。
例えば、家族全員で5名だったら、5枚をそれぞれ選んでもらう。

なんだ、スマホで十分じゃないか、と思われる方がほとんどだと思います。
でも、このブログは「Re」なのです。

余命数年の父の遺影の写真ではありませんが、どうしてもそういうニュアンスを含んだ写真になります。
スマホで撮ったら、送るねー!ではなく、自身が選んだ1枚の写真は、唯一無二なのです。
その1枚を、父が亡くなったあとでも、見ていると自然と頑張れる、自然と自分のふるさととの繋がりや根っこを感じる。
その1枚があるからこそ、わたしはどこへ行っても、だれと会っても、へこたれない、そんな1枚として人生を歩んでもらいたいのです。
まさに、自分史の始まりですね。
そこに、どう生きたいのかを1行のコピーを添えて、お渡しするという企画です。

それでも、わざわざプロでなくても、と思われえるかもしれませんが、プロはいわゆる「お題」を頂くと、その対象から
感じられる本質的なことを探ります。
そして、自分しか醸し出せないものを、1枚の写真として残していきます。

これは、つまり、余命少ない父との記念写真というよりも、父から孫への最後の贈り物という感じですね。




確かなものは、伝えなければ

小さなアメリカ人のようになるシーンが増えてくると思います。
時代の流れはどうしようもありませんが、それでも「語りなおす」「おとなこそ伝える義務がある」とわたしは考えます。

そんなもの、一個人ではどうしようもありませんが、それでもわたしはクライアントの商品を通じて。
クライアントのサービスを通じて。

空疎化しつつあることへの警鐘と、これからの希望を感じさせる確かなものを、言語化していこうと思います。
ちなみに、空疎とは、見せかけだけ、という意味です。
この、見せかけだけの事象に、どう対峙するか。どう回答し、表現していくか。

どうか、この生きるうえで我々おとなに課せられた課題に、一緒に取り組む企業様を募集しております。
コピー考えるから、仕事ください、というより、島内と組みませんか?という感じです。

17世紀のオランダの哲学者 スピノザも「組む」ことを提唱しています。
400年も前の哲学者からの示唆は、大きく、確かなものでした。

言い古されていますが、確かなものしか残る理由を有していないのです。
その理由を、誰に伝えるべきか。
次世代の為に、新しい和の在り方を考える時期だと思います。