【説明だけの商品カタログは読まれない】
情報過多の時代において、一見して「あ~あれか」と思った瞬間、そのカタログはよほど興味の対象でない限り、読まれません。
最初から、ミニが好きで、お目当ての車種が掲載されているカタログなら、隅々まで見ていくでしょうし、美的完成度の高いカタログであれば、それこそ、部屋に飾るくらいの勢いではないでしょうか。
これが、食品関係であれば、広くあまねく「一般の方」が対象となる為、どうしても、「どのように美味しいのか」、「これがあれば贈り先も喜んでもらえそう」など、価格と情緒と、ほんの少ししかない差異を膨らませる設計と、一般的にはなるかと思います。
形骸化しつつある、この歳の瀬のギフトコーナー。
また、小さいアメリカ人として過ごすための赤と緑の世界のクリスマスコーナー。
ほんとうに、本当に心から贈りたい、感謝したいと思ってないので、わたしは冷ややかな視線を投げかけています。
まあ、それだけオッサン化現象が加速している、ということでしょう。
話が逸れましたが、終始説明だけのカタログよりも、どうせ費用をかけて作るのならば、一回アタマの中にある「商品カタログを作るぞー!」的なお題を外して、「さて、この商品についての物語を書いてみようか」と解釈を変えてから制作に入られてみてはいかがでしょうか。
私自身も、ブログを書き始めた頃は、やっぱり「必要以上な構え」があり、いざ書こうとしても、なかなか進まない時期がありました。
なんというか、コピーライターらしく書かねばならない、という呪縛のような枠を勝手に自分で作っていたと思います。
実にアホらしい、と今は思います。
それこそ、自ら自由を捨てて、既視感のあるというか、いわゆる「置きに行く」ような感じですね。
これでは、書いている内容はともかく、書いている時間そのものがモッタイナイと言わざるを得ません。
ですので、ぜひカタログ制作に着手する前に、「こういうことを書きたい」とか「これを言いたいので、類似するような事象はないかな」とか「今こそ、これを声高に言う必要がある!」などの根っこの部分を書き出してみてください。
それこそ、劣化しにくく、自分にしか表現できない「ほんねの部分」が出てくると思います。
その本音が、強くて、ある程度共感を得れそうであれば、商品の物語として立脚できます。
また、気を付けばければならないのは「共感してもらいたい」を全面に出さない事。
必要以上に、読み手に「阿ることをしない」こと。
「いいな」と思ってもらえる人に届けばいい、くらいの捨てる覚悟がないと、アレモコレモとなりがちです。
アレモコレモとなってしまうと、本当に伝えたいことが希釈されます。
【削る、ということ】
アレモコレモではない表現の対極に位置するような、広告があります。
1950年代後半、米国で展開されたフォルクスワーゲン社による広告です。
大きければ、おおきいほど良い、という当時の風潮にアンチ的なメッセージをしました。
この頃の米国は、第二次世界大戦後で景気が良く、車は大型の車こそが、その繁栄を象徴するような時代でした。
Think Small とワーゲンの車。あとは、余白がドーンと在るだけです。
鳥肌モノの凄さ、ですね。
今なら、理解できますが、大きければ大きいほど良いとされていた、あの当時に、これだけのミニマリズムであり、哲学的なメッセージを訴える、その勇気と覚悟と戦略性に、しばし呆然となりそうになります。
ワーゲン社は、「必要で最小のものでもいいじゃないか。そういう事を、考えてみようよ。」と言っているわけです。
圧倒的に大型車が受けているなかでも、というかむしろ、そのような車の所有の仕方に、ちょっとだけでも違和感を感じている人には、強烈に響いたと思います。
「ああ、そうそう。おれもそう思っていたんだよ」とか。
また、長谷川等伯の松の屏風や利休にも通ずるような、余白が、読み手の思考を駆動する役目を担っていると思います。
「空白」とは、そこに何も書かれていないし、描かれていないわけです。
ということは、必然的に「自分の頭の中の、何かしらの概念、これまでの記憶」が動き出します。
一か八かに思えますが、「間」とか「沈黙」もそうですが、「なにもない空間」とは、ときに「自省」に近い思考を促すと思います。
まあ、一言「ちょっと落ち着け」という事なのでしょう。
【例えば、期待値を高める表現】
食品の商品カタログでは、たったひとつの商品しか掲載していないカタログはありませんよね。
カテゴリーごとに、アレヤコレヤ多数の商品が載ってます。
先にも書きましたが、そのブランドのあの商品を購入する、という前提ならそれだけの設計でいいのですが、それほど差異化力もなく、類似商品も多数ある中で、わが社の商品を選んでもらう場合は、一工夫が必要ですね。
例えば、カタログの表紙に、上記のような舞台の表現などいかがでしょうか。
なにもない舞台です。
それでも、ここでは様々な演劇がなされたであろう事くらいは想起します。
つまり、次のページをめくるとわが社のおすすめの商品という物語が始まりますよ、という期待値を高める狙いですね。
演劇風に全体を構成する、と設定しても面白いですし、これが和風の食品であれば、「能の舞台」でも良いかもです。
まとめます。
アレモコレモのまえに、どうしてもこれは言いたいことを書き出す。
その商品の現状、類似品、それがもたらす便益などのファクトはあとでいいので、とにかく、自分に言い聞かせてください。
「いま、それを言う必要があるのか」と。
そぎ落とされた表現の美学があるのなら、まずは思考の中の余計な部分をそぎ落とす事もあります。
それでも、わからん!という時はご連絡ください。
御社にしか言えない事を、必ず見つけます。