共感は多機能性を有する
就寝前に、仰向けになり、スマホで本日最後の、共感パトロールのような時間があるかと思います。
繋がっている人、推している人、自分がなりたいこと、やりたいことをすでに実践しているひとを
さらりさらりと見ながら、その多くが一生会わない人への羨望を感じつつ、眠りにつくことが多いかと思います。
それは、時間で言うところの「今日」「Today」「いま」の状態を示します。
それでも、時々ですが、「未来への」や「将来的なこと」へのテーゼを見るときがあります。
それは、共感が「今のいいね」と「将来のいいね」の二つの側面を持つことを意味します。
共感を全く意識せず、コピーや文章、ブログを書くことはありません。
それは、商業的な意味もありますが、むしろ私の場合、未来への投資のような意味で書くことが多いようです。
クライアントからの依頼、CDからの依頼には直接的には適さずとも、提出する表現物には、未来への投資の要素を含んだ
文章も同時に提出します。
合意形成の為にもなるし、世界観や新しい意味づけに寄与するからです。
ただ悩ましいのは、その未来への投資に、「いいね」はするけど実際に共に活動する、まではなかなか実現しにくいのが
現実ですね。
徒労に暮れることには慣れていますが、経済的に売り上げ的に、耐えられなくなるのは避けなくてはなりませんので。
ただ、少しづつですが、未来への共感を具現化し、耐えに耐えて商業化できているケースも台頭してきました。
このような連続の先には、未来への投資が回収できる市場があるように思えます。
その市場を拡大する為のスイッチはなんだろうか
伝えたいことの全体像。
その世界観や背景。
意図することの社会性や哲学。
視点と解釈を変えて、新しく意味付けを、言語化した「タイトル」や「コピー」。
それらを実現するスイッチが、日々の暮らしのなかにインストールされていくと、ちょっとづつ変化が出てくると思います。
物語や世界観が、鮮烈で少しだけの自省を強いるような、柔らかい読後感に包まれるような表現だと、「いいね」からの
発信元への興味へと推移し、「このひとは何をいいたいのだろうか」という探求へと繋がっていくと思います。
インスタでもよく見られますよね、くわしくはサイト観てね!です。
その時のきかっけや入り口は、言いたいことを凝縮しながらも、いわゆる刺さる言葉と画像で設計します。
「刺さる言葉」は一発で記憶されるほどの威力が必要と思います。
鮮度と言うか、一発で記憶するということは、なんだこりゃ?ではなく、お?おおおお!そう言われれば、そうだね的な
感じでしょぅか。
しかし気を付けなければならないのは、どっかで見たことのある感じや、誰か言っていた事を少しだけ改修して記す事です。
特に自分で悩んで考えて、苦しんでもいない言葉や文章は、言わば人格なき文章ですから、一貫性がまったくありません。
それを書くくらいなら、「刺さることを意識せず」たとえ稚拙だろうと、カッコ悪そうに見えても、自身の中からでてきた言葉で
書き記すべきかと思います。
かっこつけて、あまり知らない漢字を並べたり、有名なコピーライターの文体をなぞるような文章はやめたほうがいい、ということですね。
実際に「共感」についてコピーを書いてみた
これは、誰かから依頼されたわけではありませんので、やや迫力に欠けるかと思います。
少しピンボケというか、鬼気迫る要素が少ないかな、と思います。
つまり、いつもコピーや文章を検証する際に、自身に問うあのセリフです。
その言葉は、切ったら血がでそうか
今回は、血までは出ませんでしたが、伝えてい事の概要程度は伝わったかと思います。
共感とは、今だけの一時のものではなく、その賛同者が多ければ多いほど、そして、強ければ強いほど
未来への投資となりますし、それは今までにない市場、つまり商業化していくことを意味します。
クリエイティブワークの方、企画販促の方、マーケティングの方。
ひょっとしたら、なんらかの支援を要する方々。
一緒に未来への投資を考えませんか?