【いつのまにか日常にあるもの】あたり前を問う

あたり前の事象の「在り方」を問う

ペットボトルのお茶。
あまりにも、当たり前に在り過ぎて、ちょっと恐怖すら感じました。
緑茶を買うという消費行動になんら疑義を持たない自分にも、情けなさを禁じ得ません。

画像は「特保」です。
べつに「あ~特保飲みてぇ~」という意識がないまま、買ってしまってます。
ただ、瞬時に「特保」という漢字と「値段」は視認し、他の商品もさらりと眺めて
買ったはずですので、やはり「特保」の文字が功をなしたと言えます。

でも、こんな小さい文字までは読んでいない

裏面にびっしりと記載されています。
「お茶を飲みたい」もしくは「カテキンを飲んで風邪予防も兼ねた飲料のお茶を選んだ」ということ買い物
なのですが、要するに「お茶」をコンビニで販売するまでに、ここまでの小さな文字の表記が必要だということ
なのです。
当たり前じゃないか 流通だからね!
まさにそうなのです。当たり前なのです。
誰かが、いつのまにか、その当たり前を作って、大きくシェアを伸ばし、巨大な市場を作って来たわけです。
機能や効能を追加した商品も続いて販売され、手軽さという大きな利便性が後押しし、数百円で24時間買えるので
社会的なインフラの側面もありますが、よくぞ作ったものだと、裏面を眺めておりました。
と同時に、毎日飲むお茶くらい自分で茶葉を買い、お湯を沸かして、容器に入れて持ち歩こうと、改めて
よほどのことがない限りペットボトルのお茶は買わないことに決めました。
ペットボトルのお茶は買わない代わりに、お茶農家やお茶専門屋さんから買おうと決めました。

あたり前に抗う

当たり前の事象の在り方を問い始めると、いかに「めんどくさいからの脱却」が「いつのまにかできている自分」
が居ること、に気づきます。

なぜアチコチの看板は四角ばかりなのか!
などいちいち不思議がっていたら、死ぬまでに解決できることが制限されますので、当たり前に転がってる事象の「在りかた」を不思議がる事。
そして、「どうして?」の「とりあえずの解」を速攻で調べます。
Geminiなどで検索し、調べるのが仕事になっては本末転倒ですので、ここはスピード重視です。

結局、当たり前の事象の多くは、当たり前ですが、市場を作って来たし
そのシェア拡大において得た知見の水平展開をしているわけです。
つまり、商業化してきたわけですね。

商業化がむずかしいものとは、収益につながりにくいもの



さきほどのGeminiに聞いてみたら、最先端の技術を要する物、時間、コストが関わるもの、ひとの健康に関するもの、などなど
ツラツラと読み上げてくれます。いちいちここで書き記しませんが、意味も意義もあり、非常にほまれな事でいい事なのだが、商業化はむずかしい、というシーンは多々あったかと思います。
わたしも会社員時代にお客さんから口からも、私自身の口からも、そのセリフは出てきました。

ただ、どうやら、パラダイムシフトの現在では、そろそろこれまでは「ちょっと無理」であったものが「収益化」つまり、商売として持続できている人、持続できそうな集団が、この佐賀でも見受けられるようになってきました。

私自身がそういう人に会いたい、話をしたいと、思って行動した一年でもありますが、いやいやどうして、佐賀にも、というより

佐賀に住んでいたらこそ立脚できたのでは?

と思えるか方もいらっしゃいました。
つまり佐賀はひょっとしたら、そういう思考を作らせる萌芽があるのでは、と思っております。
この辺りは、地政学的なもの。明治維新と佐賀。もしくは薩長土肥、徳川と鍋島、を調べないとエビデンスなき暴論となりますので要注意ですが・・。

あたり前の在り方を問う。
問うことで、新しい市場を作るための課題、テーマを見出す。
そして、市井へ市場性を訴求していく。認知までは時間を要するが、あらゆる媒体、ツール、人脈を駆使してやっていく。
次世代が抱えるであろう課題を、今の世代の問題として捉えていく。
その問題と、当たり前を問うた時に生まれた課題が一致した場合は、社会が少しづつ味方についてきてくれる。
来年はこの実践量を増やす一年になりそうです。