
送るひとの数だけ、贈る言葉があるはず。
四十九日が終わりましたので、葬儀の在り方について述べたいと思います。
1月20日に父・正彦さんが亡くなりました。
誤嚥性肺炎でした。
その当日を迎える、2日前からほとんど眠れない状況が続いていました。
11月23日に、入院先の病院でイベントがあり、いわゆるサクラ要員として出向いていました。
その日は、イベントのついで程度にお見舞いに行ってきました。
病室では、口数は少ないものの、会話がまだ成立していました。
私:「この病院は、ウナギとか出るね?」
父:「出らん!」と野太い声で返事をしていました。
これが、この世での最期の会話となるのです。
ちなみに、ウナギが大好きだった父の棺桶の足元に、ウナギを入れてあげました。
自体が急変したのは、12月20日ごろ。
入院先のドクターから親近者が呼ばれ、延命処置はするのか?というコンセンサスを求める場面でした。
一瞬「は?」となり、いったいどういう事だと、ドクターに説明を求めました。
医者からは、誤嚥性肺炎の特徴である、肺に映る白い影が、減るどころか、逆に増えてきている。
薬が効かなくなってきている、というものでした。
延命処置は、意識がはっきりしていたころにやらない、と父との合意があったので、やりません、とお伝えしましたが、
なぜ世界一安全であるはずの病院でそのような事態になるのか、やや疑義が残りました。
病院を後にして、たった一か月でここまで悪化するとなると、ひょっとしたら1月20日ごろに死ぬのか、という冷たい感情が
湧き上がってきました。と同時に、「亡くなってからすること」の準備に入っていきました。
この一か月というのは、気の重い葬儀会社との打合せや、人というものがいかにいろんな「絡み」や「縛り」や「国や自治体との関係」があるものだと浮き彫りになってきたことを記憶しています。
年末には、病院の院長からは「正月が越せるかな」と言われ、約一か月スパンで悪化してきたことから、やはりどうやら
1月初旬には死ぬかもしれない、と思い、ほぼ毎日お見舞いに行っておりました。
やがて、死去した日。つまり、1月20日当日。
机にスマホを画面が見える状態にして、眺めていました。
この画面に病院名が表示されるかもしれない、という変な待機の時間でした。
16時15分ごろ。眺めている画面から病院名が写り、すぐに「もしもし」となりました。
じつは、その頃には心電図の見方も多少は詳しくなっており、すぐに「体内の酸素濃度は?」「酸素の投入量は?」と矢継ぎ早に質問しました。
病院側からは、体内の酸素濃度が、70を切っており、上がり切れないので、すぐに来てくれ、というまさにエマージェンシー状態になりました。
親族関係に電話をし、病院に着いたのが、16時45分頃だったと思います。
それから、数十分後の17時08分。正彦さんの生命現象が終わりを迎えました。

そこに自分の意志がなくても良いのか?
怒涛の通夜、葬儀、そして初七日を終え、戒名を掘ってもらわなければいけないので、石材店に出向いていた頃です。
日常を少しづつ取り戻そうとする気持ちと、週末のたびにお経をあげて頂くための準備とで、とても落ち着いた状態とはいえないものの、それでも、その石材店と店主と話をしていた時に、ふと父の母、つまり祖母の葬儀の時を思い出しました。
静かに、落ち着いて、なにか物事を考えているような様子の父。
テキパキと段取り通りに事をなしていく母。
そのふたりをバックアップする気満々の親族のおとなたち。
そのシーンが思い出された時に、「ああ、むかしは、わたしの周りには、いい大人たちが居たんだ」と妙に腹落ちしました。
ひとはこうやって、いい大人へとなっていくのだな、と感じました。

会葬御礼として、数十人の方々の訪問が続いていた時に、通夜、葬儀の総括ではありませんが、「あれで良かったのだろうか」と考えるようになりました。
つまり、死ぬ数日前からの睡眠不足、死んでからの怒涛の流れ。
ほぼ、葬儀会社の言われるままに、事が進んでいく状況です。
仕方ないとはいえ、挨拶や礼状の文章まで、量産型のテンプレートのような用紙を渡され、これでいいですか?と言われた時に
コピーライターなので、自分で考え、自分で話し、自分で書きます、と伝えました。
ハッキリと、そこに自分の意思を記したかったのです。

家族葬での事前打ち合わせが多い理由
憔悴しきっていた母も少しづつ現実を認識し、それでも生きていかねばならない、という業のような宿命と戦いながら
家族葬専門会社に一緒に行ってきました。
つまり、こんどは自分である、ということを強く意識し始めたのです。
予約もなしに訪問したのですが、その日は約1時間ごとに「事前打ち合わせ」が入っているので、手短で良ければ対応いたします、とのこと。
20分程度の滞在でしたが、なるほど、という理由がありました。
つまり、今の葬儀の在り方に不満のようなくすぶっている事があること。
対応してくれた家族葬のスタッフさんが言われてました。
かいつまんで言うと、残された遺族の気持ちが、他人事のように扱われている葬儀が多いため、自分の葬儀は、そうあってはならない、という理由でした。
あいさつ文の内容や、礼状の文章を考える時間も、労力も、ほとんどの方はないのも分かります。
大勢の前で話さなくてはならない緊張もあります。
その為に量産型とは言え、準備をしてくれていることも理解できます。
でも、だからこその、遺族としての、遺族だからこその、語れることがあると信じます。
もし、あいさつ文や礼状の事前打ち合わせが望まれる方は、是非ご連絡ください。
誰しものこころに残る文章を考えます。