忙しい子供たちへ親ができること
習い事の多さといったら、ちょっとしたタレント並みではないでしょうか。
まあ、楽しければ時間の経過も忘れるくらい没入するのでしょうが、これが進学塾となると・・。
とはいえ、実家が開業医であったり、会社経営であったりした場合、そう簡単に勉強をないがしろにはできないのも事実です。
事実ですし、現実そうです。
いくら詰込み型教育は良くない、と声高に言っても、それは無責任な発言です。
だからといって、和気あいあいとぬるい感じの勉強は、質的によくありません。
学習内容も、お子さんに合ったスタイルで学べます!という塾もありますが、理屈は分かりますが、いまいち緊張感というかストイックさというか、ひたむきさ加減が足らないような気がします。
ポイントはバランスか、と思います。
そして、その羅針盤が正しい方向に向いているのか確認するのが、親の役目ではないでしょうか。
「バランス」とは、ここまで学習したらyou tubeみていいよ、とかのご褒美パターンもそうなのでしょうが、わたしはあまり進めません。
というのも、そもそも個人差は当然あるものの、ゲームやスマホを見ることそのものをご褒美にしていることが、ちょっと情けない気がします。
なぜか?
思考が断絶される世界をうまく処理するまでに大人に成っていれば良いのでしょうが、乾いたハンカチが水を吸水するように
情報をどんどん吸い取っていく年齢において、低俗で不要な記憶をさせるコンテンツは、過激で面白いだろうけど、小学生には悪影響を与える容量のほうが多いと思います。
対話型ならまだしも、受け手だけの状況は良くないですね。
では、どんなご褒美なら良いのでしょうか。
あくまで持論です。
将来の子供像と地続きになっているような、ご褒美だったら良いと思います。
むしろ、積極的に長時間でも、なんなら半日でも実践すべきかと思います。

例えば、上記のオモロー授業の事例
これ、めちゃくちゃ大人も楽しめて、おもしろいですよ。
というか、行こうと思っていた矢先に父が他界したので行けなかったのですが、登壇者に知り合いが数名しまして、
その中でも、画像の左下に羽白さんという、まるでキャンパーのような恰好のおじさんがいますが、この方、マジで稀有な方です。
初めてお会いしたのはマルシェでした。
今日ここに泊まる為のテントでも設営するのか、と言わんばかりに、がっちりとアウトドア用具がありました。
マルシェでいったい何をするのか?聞いたところ「火起こし体験」というではありませんか。
このAI時代に、火起こし?
衝撃が走りましたね。でさらに、このかた現役の学校の先生。
どういうこと?
怒られないのか?
いろいろ思う事はありましたが、数回に渡ってお会いするに至り、要するに彼は
目指せ!現代の原始人!を体験させることで、便利さのありがたみや、不便さの大変さを教えているのだな、と解釈しました。
で、この授業の主催者側の方と少しお話をする機会があったのですが、現役教師でさえ、今の教育の在り方にくすぶっている事が
多々ある、ということでした。
これは、わたしなりの郊外における、子供の将来像と地続きのご褒美だと思っています。
では、屋内でできそうな地続きのご褒美に何があるのでしょうか。

対話型アート鑑賞を応用した、アウトプットのご褒美
馴染みがない方も居られるでしょうが、NY美術館で20年以上も前からやっている事のようです。
で、そっくりそのまま、絵画を並べて、親子で鑑賞して、感想を言い合うのでは、美術に興味がない方には難しいと思います。
そのやりかたを応用して、子供自身が持つ「相対比の知力」を引き出してみてはいかがでしょうか。
僕自身、美術はまったく素人です。
でも、コピーライターなので、どうにか言語化する癖が染みついてますので、わが娘が小6の時に、時々やってました。
当時、彼女がすきだったアニメを題材にして、じつは、こいつは悪者ではないのか?
いやいや、じつは本当は作者は、べつのことを言いたかったのではないか?
などなど、オタク以上の妙に熱のこもった会話をしていました。
ちょっとバラすと、進撃の巨人なのですが、ここで実に面白い質問を私にしたわけです。
お父さん、兵士と戦士ってなにがちがうの?
言葉に詰まりました。で、スマホで調べて、どうやらこういう事みたいだよ、と答えるですが、
その着眼点を後日めちゃくちゃ褒めてあげました。
この後日、めちぇくちゃ褒めてあげる!というのが、ものすごく彼女の自己肯定感を高めたのは言うまでもありません。
コピーもそうですが、後日、思考の中に蘇ってくる言葉やシーン。
それらを、自己の内部で会話をし、一人で処理していくのがコピーライター。
でも、それを外部の人間から、あのときじつはめちゃくちゃすげーと思ったんだよ、と言ってあげると、本人は過去の事
としてすでに処理しているけど、それほど遠い記憶ではない為、すぐに、その時のシーンが蘇ってくるのです。
つまり、この連鎖、会話、地続き、という過程はこれからのAI時代を自分の考えを内部にしっかりと持つということに
大きく貢献します。
現在のビジネスパーソン的に言えば、マインドフルネスというあたりと繋がっていきますね。

とにかく、アウトプットをさせる、磨く、褒める。
そして、それを見たり聞いたりし、自分が楽しめる。
ちょっと子供だましみたいになってきましたが、基本いつまでも、その関係性は親子である以上は、それでいいと思います。
親がすでに既存する、型、にはめるようなことは避けておくべきですが、それ以外は、自身の子供が興味がある事を見つけ、それと地続きの屋外か屋内の「何かしらのアウトプット」に繋がるような、そして自分たちも一緒に、思う存分のめり込めるような
ことを見つけていきましょう。
わたしはコピーライターですが、異種企業どうしを、マルシェという自由なくくりで組み合わせ、そして、それが子供たちの
何かしらの役に立つことを企画しています。
オランダの哲学者スピノザが言うように、「組むこと」は「あたらしいことを生む」そしてそれはこう言い変えることにもなります。
発展的原点回帰
この視点で物事を考えていくと、突破口が見え隠れしてきます。
企画などのご相談お待ち申しております。