【プロダクトデザイナーのための「世界観」】共感を呼ぶ、物語の作り方

どうコンセプトを設計していくか。それに尽きると思います。

その商品は誰のどんな便益に寄与するのか。
モノが溢れかえっているこの世界において、なにが求められているのか。

物価の上昇、税金、社会保障料の負担増加。
可処分所得が上がりそうにない状況で、その商品の価値に、どうすれば経済的価値が見込まれるのか。

難しいですよね。
批判は簡単にできますが。モノを作るとなると、大変です。
そもそも必要なのか、ということから考えても、よほどその商品から享受される「あって良かった」感がないと
費用対効果は期待薄だと考えます。

例えば、コラーゲン入りの食品があったとしても、ちょいと賢い消費者は、たったそれだけのコラーゲンを食べたところで
お肌が翌日プリンプリンになるわけがない、と知っています。
つまり、体内に入ったコラーゲンが、間違いなくお肌のツルツルに貢献しない事を知っているひとはそこそこいる、という事です。
ひとは、食べたものでできている、と昔からいいますね。
それはそうなのですが、なにもコラーゲンが無くても生命活動は維持できてしまう訳です。むかしからマクロビオティック料理でも謳われている、切り干し大根の料理でもいいわけです。

考えれば、考えるほど。
調べれば、調べるほど、迷宮の思考に入っていきます。
なんなら、作るの辞める?ともなりかねませんね。
さて、どうしましょう。

古くて、新しいという視点で考えていきましょう。

新しい商品設計を考える前に、そもそもその商品はこれまで、どうだったのか?
どういう「在り方」で受け入れられてきたのか?

そこに、くすぶっている事がありそうか?
それに、しばられている事がありそうか?
それに、煩わしい要素がありそうか?
そこに、生活や環境を変えていける技術はありそうか?
なぜ、それらが実現されないのか?

このあたりを考え続けます。
そのためには、一般生活者の生活スタイル、購読しているだろう情報やメディア、SNSなどを「審査する目線」で見ていきます。
つまり、観察ですね。「なぜそうなのか?」という問いを前提として、ひとつひとつ自分の中に「解答」を記していきます。

直感や感性、センスが素地としてあるのならば、(ないなら無いで、複数の本を同時に4冊読んで、鍛える事もできますが)
事象を相対比し、惑わされずに、自分の中の世界観に必要か否か、物語としてユニークさや、こころに熱いものが感じられるか、などジャッジしていけます。

知的な多動で、自分の前頭前野に知識、美意識、歴史、ひとの心理、行動、社会情勢をクリエイティブな仕事をしている人は、ある程度はため込んでいるかと思いますが、それでも、その鍛錬を繰り返していく事が求められます。
コピーライターだけの収入で悠々自適に生活できている人は、それ以上の努力をやっていますし、やっているが故に謙虚な言動の方が多いように思えます。わたしのことではありませんので・・・。

さて、本題に戻りますと・・

その商品のなにが、誰かのくすぶっている日常の事象を少しでも解決してくれそうか?

まず、くすぶりを探すところから始めてみましょう。

ないモノが無いくらい、いろんな商品が並んでいます。
ポテチも、文房具も。
ほんのちょっとの差異で、商品棚を必死で守らんとしたいのか、並んでいます。

なくても困らないのに、在ります。
では、あったとしても、そのジャンル自体が好きなので、少々高くても好きだから買う、という商品もありますね。

たとえば、クラフトビール。
嗜好品で、好みが分かれがちです。むしろ、「へぇ~こんなものもあるんだ」と好意的にさえ受け入れられています。

これはどういうことか?
ウイスキーやハイボールは苦手でも、ビール自体の苦みが好き、という人は居ますよね。
それが、多数派なのか少数派なのかも課題ではありますが、万人受けを切り捨てる事で、支持してくれそうな層への訴求は、尖った物が多いはずです。

共感は「いいね」を経て「ファン」となる。つまり、浮気せずに買ってくれる。浮気をされないように、物語化して、期待値を上げていく。

分かりやすい事例として、クラフトビールを上げました。
分かりやすいですよね?他の誰かが作ったものですから、ただそれを解説しただけですから。

それを自分で考えて、低迷気味の商品のリニューアルやすでに在る既存商品の「まあ許せるけど不愉快であることには違いない」部分をしっかりとみつけましょう。

その「許せるけど、不愉快ではあること」とはなんでしょうか?

ポテチだったら、「美味しいけど、たぶんろくな油つかってないよな」とか。
スーパーのお惣菜でも、「モノによっては食べれなくもないけど、食べ続けたら、カラダに良くないよな」とか。
なぜ有難がってスタバには行くのに、和菓子屋さんにはそう頻繁には行かなくなったの、とか。

まあ、最後の一文は、和とは何ぞやを調べていた時に、かみさんや娘にたいして、きみらは小さいアメリカ人にでもなる気なのかい?
と皮肉感を覚えたので、ちょっと書き足しただけですが、これとて、くすぶっている感情ではありますよね。

コンセプト思考は、古くて新しい視点から生まれる「スタイル」だと思います。
新しいだけだと、それ以前の事象と分断されます。
つまり、地続きになっていません。
クラフトビールが生まれた理由。
これまでの商品と消費者の関係性を再構築する時代ですね。

ご相談、お待ちしております。