本題に入る前に、「あまり見てもらえないPOP」、「スルーされるPOP」とはどんなものなのか、あきらかにしていこうと思います。
・商品説明しか、伝えていないPOP
・使用用途しか、伝えていないPOP
・商品の魅力を「ごくありふれた言葉や既視感ある画像等」でしか伝えていないPOP。
つまり、言い変えれば、それは「響かない表現」、「刺さらない表現」だと言えます。
もっといえば、その商品は、「私には何の関係もない」という状況を作ってしまっているわけですね。
以前も申しましたが、POPの役目は「お客さんとの関係性を構築するもの」だと思います。
しかし、商品自体は、とくに珍しくもない場合。
それほど、ブランド力や認知力があるわけでもない。
お客さんとの関係性を構築する、といっても、それを構造的に考え、刺さるような表現物として作成することは、そう簡単にはできません。
視点を変えたり、世界観、物語化、そして必然性などを多角的に考えなくてはなりません。
それらの課題を、短時間で構想化していくには、どうしても、それなりの「時間」「知識」「美意識」「センス」が必要となります。
それらを、日頃から、鍛錬として蓄積しているのは、クリエイティブディレクター、webプロデューサー、あたりでしょう。
その「考え」を言語化していくのは、コピーライターですし、視覚化するのはアートディレクターとなると思います。

対象となるモノや事象の、在り方を問う
私の場合、この「在り方を問う」という思考から始めます。
ひと言で表すとこうなります。

発展的、原点回帰のような考え方
「在り方」を問う、わけです。
今の在り方はどうなのか。
それは、そもそもいったい何なのか。
例えば、「ごま」の在り方を、言える範囲で書き記します。
ごまは、そのほとんどが輸入であり、国産はごくわずか。
ごまは、植物。
植物は、土から栄養を吸収する。
その栄養には、その土のゲノム情報が入っている。
なぜ、わざわざ輸入しなくてはいけないのか。
そんなに生育が難しいのか。
日本で作るひとを増やせないのか。
本来、ごまは、どうあったほうが、生活者にとって良いのか。
などなど、進行中の案件でもあるので、これくらいしか書けませんが、思考のプロセスの一端をお見せしました。
こうやって考えていくと、わずかながら、ごまの「必然性」のような要素が見えてきます。
すこしづつ、あたらしい輪郭が見えてきます。
必然性が見えてきたら、その商品と生活者の関係性を、ターゲットに刺さるように言語化、視覚化していきます。
モノが溢れかえっている。
そういう環境での、新しい関係性を表現するときは、ややアンチテーゼを内包した、鋭く、短く、誰もが理解できるような表現が望ましいと思います。
具体例を上げます。

あえて、「それでいいの?」と問うような表現
大型車が主流を占めていた時代で、「それでいいの?」というジンテーゼのような表現です。
また、余白を多用し、シンプルに伝える事で、視認性が高まります。
この新聞広告で、大型車から乗り換えたひとは、そう多くなかったようですが、少数派からの支持を強固なものにはしたようです。
市場では、そのエリア特有のものがあります。
東京のような富裕層がたくさんいる場所。
一方で過疎に悩む地方。
同じような表現をしても、伝わりにくいことは明白です。ですので、その表現を伝えたい方はどんなひとか。
どこに住んでいて、その場所は、どんな性質なのか。
そこでの、日常はどんなものか。
外堀から埋めるように考えていくようにします。
今日も、コピーライターは、アイドリング中です。
つまり、鍛錬を禅僧のように怠らないのです。
表現で悩んでおられる方、思考がまとまらない方からの、ご相談お待ち申しております!