【リフォーム・リノベの営業、企画の方へ】コピーライターと共に考える、ご提案書のクオリティを上げる、その思考法とは。

中間領域は大事なのか

空間において、中間領域とは、昔の家に在った「縁側」「軒下」「土間」「廊下」などのことですね。
この誰のものでもない、特に何かの機能を有しているわけではない、中間領域は、今の家にはあまり見当たりませんね。
ここでも、設計のハードな構造のことよりも、ひとの感覚を重視していきます。
どういうことか?
コピーライター島内は、本を読んだり、PCに向き合ったりしながら、コピーやステートメントを考えていきます。
でもその多くが、仮説と構想の連続です。座りっぱなしの時間です。そして、ハシビロコウのように微動だにしません。
ただ、頭の中だけは、超フル回転状態なのです。

つまり、とてもとても、疲れるのです。
そこで、ちょいと歩いて、たばこを吸いに行く。

その瞬間に、「そういうことかっ!」が天から降りてきます。
ちょいと歩く。他の何かをボーッと見る。たばこを吸う。思案にふける。
どうも、この辺りで考えが収斂されていくようです。

つまり、中間領域は、ひとの思考をまとめるような役目がありそうなのです。

そう言えば、探偵屋さん、大学の教授、犯人を追う刑事などが映画で考えるときって、部屋をうろついてますね。
アレだと思います。
中間にこそ、余白があり、無駄なものが一切ないエリアで在り、だからこそ、考えがまとまっていくものだと思います。

植物は、語る。

その中間ゾーンに、例えば、一輪挿しでもいいし、花瓶でもいいです。植物を設置してみる。
まとわりつく、犬や猫と違い、植物は動的には訴えては来ません。
ただただ佇んで居ます。
静的でありながら、見る人に「何らかの語り」を与えてくれる生き物だと思います。

ノンフィクション作家の柳田氏。
彼の次男が自殺し、その死の在り方を問う本です。
ある出来事がきかっけで、学校を辞め、引きこもりがちになっていくのですが、唯一の社会との接点である教会に行く日があり、その道中の電車の中から外の景色を見た時に、街路樹が彼にこう言ったらしいのです。
「大丈夫だよ」と。
実は、コピーライター島内はこの時、パタッと本を閉じて、己の心臓の鼓動をしばらく聞くことになったのです。
どういうことかというと。
あるコピー案件で、あーでもない、こーでもない、という頭がグルグルしている時に、ふと視線の先にある、公園の木々たちが
「こんにちわ」とか「今日も鳥さんがくるかな」とか「天気が良くて、葉っぱがわさわさしてる」とか言ってるように聴こえたのを思い出したからなのです。
おれは、今、死に近いところに居るのか。
今でもあの衝撃は忘れていません。

と、話が逸れていきましたが、余白の空間に植物が居る、ということは、それだけ、ひとの内面に語り掛けてくるものがある、ということですね。

一点だけ、ということ

具体的に提案書を書いていく時に、とうぜんお客様との丁寧な対話がベースとなります。
概念を視覚化し、3Dイメージパースで表現する前に、ひとつひとつの空間について、そこに付与する目的(コンセプト)を明文化しなくてはいけません。
その際に、前回のブログでは「不自然さは禁物」と書き記しましたが、なにか一つの事に焦点を絞ることも、とても大事です。
例えば、小学5年生の娘の部屋に、本や好きなものを置く棚を設置するリフォームをするとします。

これは、娘の「今はまだ見えない」けれど、「いずれ見えてくるコト」への投資のようなものです。
何を置くかは、娘に任せて、親はただただ棚を、それも、何か飾らなくては、何か置かなくてはおかしい、くらいの大きさの棚を作るのです。
つまり、中間領域をわざと、その空間に設計するのです。 かっちりとした部屋でありながら、余白の場を作るという事です。
どういうことか?
娘に、創造性を育んでもらいたい、という狙いです。
自由にしてもいい、ということは、その棚の空間を自分で考えて、創作してもいい、という事であり、そんな場が、自分の部屋に在るという幸せでもある、ということです。

未来への成長をサポートする
可変をビジョナリーな提案で
学校でもなく塾でもない、自分の部屋が教えてくれるもの

リフォーム・リノベの営業、企画のお手伝いができれば、と思います。