【心を掴む企画書作成】リフォーム・リノベ営業・企画の方へ。コピーライター島内が考える「御社に頼んで良かった」と言ってもらえる提案書を共に考えましょう。

ひとの記憶をポジティブに再現する

リフォームしませんか?
なぜ今する必要があるのですか?


即答できる営業や企画の方は、はたしてどれくらい居られるのでしょうか。
私自身も、即答はできません。
今は、その答えが無いからです。
その「今」とは、家電製品はいくつか故障を繰り返したのち、買い変えたりしました。
一番費用も掛かり、辛かったのは、給湯器の故障でした。
寒さが厳しい、2月で、我が家はオール電化。
しかも、娘は大学受験真っ只中。
50万の費用の捻出も大変でしたが、お風呂にお湯が張れないために、毎日近くの、そう安くない家族風呂に
母親と行っていました。
インフラが故障すると、とにかく早く修理してくれ、とはなります。
つまり、切迫した理由があるわけです。あたりまえですが。
しかし、家そのものの老朽化はありません。
ですので、家のリフォームをしなければならない理由は「今は」ないのです。

それでも、リフォームやリノベとまでは言えませんが、住環境の在り方、だけはちょいちょい工夫をしています。
例えば、このブログのアイキャッチ画像は、真っ赤な画像です。
よくよく見ると、国語辞書と書いてあるのが見えます。
で、その表紙をめくると、母方の祖父ちゃん、祖母ちゃんが直筆で、「入学おめでとう」と昔の書き方で書いてあります。

これは、僕の宝物のひとつです。
まるでアルバムのようにこれを眺めたり、ページをめくっていると、爺さんや婆さんの「声」が聴こえてくるような感覚になります。
アルバムは在りはしますが、それを能動的に見よう、という行為は日常にはありません。
本田なの一番奥辺りに、微動だにせず、佇んでいるだけです。

じつは、この辞書もアルバムのように、ハシビコロウのように微動だにせず、薄っすらとホコリを被っていました。
資料を探しに、本棚をジロジロ見ていた時に、視界に入り、手に取ったのです。
ドラマなら、ここで回想シーンに切り替わるのでしょうが、そこまで感慨にふける時間的余裕もなかったので、その時は、とりあえず机に置いときました。

その日遅くに帰宅すると、机に置いてあった辞書がリビングの棚の上に、表紙が見えるように置いてありました。
カミさんが設置したようです。
真っ赤だし、明らかに本であることは視認できたものの、こすれてしまっているので何の辞書か分からなかったらしく、手に取って表紙をめくったら、しばらく動けなかった、というのです。

その日は、お互い、なんとも懐古的な空間というか、お互いの「間」に存在する「目には見えない『間』を意識した夜」でした。

つまり、自身の感覚をポジティブに軌道修正させてくれた事象であった。

ということは言えると思います。

心の視点が移動する

先の辞書ではありませんが、ちょっとドキッとする、シャキッとしたい時など、この安藤組の本の表紙なんかを目が覚めた時に視界に入るように設置してみる。
気合をいれて一日のスタートを切りたい時。
実は、数回読んでいて、だいたいあのページ辺りで、戦闘シーンがあったな、というストーリーも思い出されるのですが、それよりも、この表紙の凄みが一番効果があります。

気分転換と聞くと、自己肯定感を高める為の、心地よい空間を作りましょう、となるのが通例なのでしょうが、私の場合は、心地よい空間を「自分の頭の中に作りたい」と思っているので、言わば頭の中に、時としてカンフル剤注入のような異質のものを欲しがる傾向があります。
つまり自分の心の視点が、どう動くのか、そこにどのような心理状態が芽生えるのか、そして、それはどんな言語となるのか、に興味があるわけです。

ここから言えることは、何かの「もの」を前回のブログで記した「中間領域」に設置してみる、ということです。

ものすごく平たく言えば、好きな絵画やポスターやなにかを、できるだけ、モノが散乱していない空間に設置するようなことです。
でも、すきな絵画やポスターであれば、好きな感覚が増幅するだけです。
それもそれで罪はないので良いのですが、どうせなら、何かの意図を目論見、視点移動的な試みで実施してみて、相手のこころに芽生えたものがなんなのか、を対話してみると、とても心が満たされてくると思います。

ちっとも提案書の話にならんじゃないか!

そうなのです。そう簡単にならないのです。
そう簡単なことではないのです。
この続きは、次回書いていきますが、「そう簡単に、ひとの心理変容が可能な提案書は、作れない」ということです。
ポイントは「そう簡単には」という時間軸とコンテンツの質に及びます。

最期に、脳というのは、繰り返し同じものを見たり、体験したりすると、慣れてくるし、マンネリ化してくるようで、この怠惰な体験によって、勝手にネガティブな思考へと進んでいくようです。
分かりやすく言うと、単純作業の繰り返しの時に「なんでこんなことをやってんだろう」と思ったことはあるかと思います。

性質にもよりますが、その単純作業の空間でも、視界に入ると心の視点移動が発動するような「モノ」があったら、希望とは言えなくても、ネガティブさを払拭するように脳が指令を出すと思います。
コピーライター島内的に言えば、ステートメントってことになるのですがね。

それでは、また!