【コモディティ化から一歩抜け出す】リフォーム・リノベの営業、企画の方へ。世界観の作り方をコピーライター島内が考えます。

過剰と希少

今の時代において、食べ物でも情報でも、そして、リフォーム・リノベの見せ方においても、ほぼ同じようであり、過剰でもあるように感じます。
言っていることは理解できますが、お客様とどのような関係性を維持したいのかが、輪郭がぼやけているように思えます。
過剰であるということは、価値が下がります。
逆に、希少であるという事は、価値が上がります。

もっと言えば、このような空間いいでしょ?という技術面を推した、ウチはお役に立てますよ、という表現もコモディティ的な表現であり、お客様にとって、なんの意味が存在するのかが、ピンボケしているように思えてなりません。

お客様にとって、数十年過ごすであろう空間の買い物です。
リフォーム側が良かれ、と思う事も大切ですが、ヒトで在るお客さまの感覚、深層心理を汲んだ表現で、長期的なお客様との関係性を維持できれば、と思います。

当然、技術的な要素の表現もPRしなくてはなりませんが、むしろ、よくよく考えてみると、お客様は「ひと」です。
それぞれ個性がある「ひと」ですね。
つまり、それぞれが希少である生物だと、拡大解釈すれば言えるわけです。
このように抽象的に、一旦視座を高めた位置から、普遍的で哲学的で、社会的で、倫理的で、アンチテーゼを内包したような、表現が生まれてくると思います。

つまり、意味を探る、そして、意味が必ず潜んでいる、さらに、その限界領域まで考えてアウトプットする、ということです。
価値の変換をねらう、ということです。

生物は進化してあたりまえ

ハーディ・ワインベルグ平衡。
この法則は、小難しいので、平たく言えば、この平衡が成り立つときは、生物は進化しない、ということを言っています。

進化とは、遺伝する形質が世代を超えて変化する事です。
何かしらの運動や訓練で発達した筋肉は、子供には遺伝はしません。
一方、遺伝子は遺伝します。
生物が進化するのは、ハーディ・ワインベルグ平衡が、成立しないときになります。

ちなみに、「形質」とは、動物や植物などの生物が持つ性質や特徴のこと。
外見や色、さらには性格のような内面的な特徴も含まれる。
親から子へ遺伝する形質は「遺伝形質」と呼ばれる。

なぜ、いきなり高校生物のような話をしたかというと、お客様はそれぞれの遺伝子を持つ、「ひと」であることを限界領域まで考えたからです。
つまり、物語の立脚地点をそこに持ってきた、ということです。

深掘りするにしても、いろいろ大変ですが、仕方ありません。強い文章は、これ以上行き止まり、まで考え抜かなくては生まれてきません。

教科書の延長のような表現は刺さらない

会社のHPにおいて、最も多く散見されるのが、誰も責任を取らないような表現。つまり、教科書的な模範例文の羅列です。
ひと言で言うと、人格が伝わってこない、ということです。
少し例を出します。


I have a Dream

マーチン・ルーサー・キング・ジュニア  キング牧師の演説は有名ですよね。
ある本で知ったことなのですが、演説当初、不遇な黒人の状況を経済情勢を踏まえて、ファクトで数字で演説をスタートしたのですが、どうも観衆に刺さらないと牧師は感じたようです。
さらに、知り合いの女性からも「いつものdreamの話をして!」と言われる始末。

牧師は、しばし沈黙のあと、「I have a dream」と始めるのです。それが、かの有名な伝説のスピーチとなるのです。

この意味することは、教科書的ではひとのこころは動かない、ということです。
教科書にはとてもいいことが書いてありますが、ひとのこころの心理変容までは到達しない、ということです。
ここで、このブログタイトルにも記した「コモディティ化からの脱却」をさらりとまとめます。

だいたい同じ、つまり平均的な表現であるコモディティを一歩抜け出す。それには、独自の世界観を創りましょう、ということです。独自とは、何か?自社のプロダクト的な技術や工法よりも、まず、自社が思う事を、自社のコアバリュである信念を明文化しましょう。
そして、それを因数分解し、テーマを設定し、自社しか言えない世界を作り、それを長期的にお客様にご提示していく、ということです。
確かに、高度な世界観、物語を創るのは容易ではありませんが、かならず意味が潜んでいます。
お客様も「ひと」なら、リフォームする・リノベする、そしてその会社の創業者や社長も「ひと」だからです。

具体的に世界観をつくるには、どうしても、純度の高いヒアリングが必要ですので、ここで書きようは無いのですが、次回は「世界観を、とりあえず、仮説として、書いてみる」でご提示してみます。

正解ばかりを求められる教育制度で育ったわたしは、成績がとても悪かったです。どちらかと言うと「ボーッとしてる」子供でした。
つまり、そんな教育制度に馴染めなかったのだと、今なら言えます。
構想するには事実が必要ですが、それよりも大事なのは、アーキテクトな思考だと思います。

では、犬の散歩の時間です。また!