暮らしを物語化する
実際に、ブログなどで言語化していくと、不思議と、生活の仕方が丁寧になったような気がします。
ちょっとくすぐったいような気もしますが、やれている自分に無理がないことは把握しています。
あれほど嫌いだった皿洗いも、リズムよくやれているように思います。
さて、これまで「自分の部屋」、「ダイニング」などにまつわる物語を書いてきました。
今回は、台所あたりを書いてみます。

なにを作るかは、それぞれ決まっている
作るのが面倒な時。
作るのが楽しみな時。
でも、それなりに、できあがるとすべて楽しみへと変わる、そんな場所ですね。
洗い物の数など、一切気にしない、娘のクッキー作り。
洗い物をしながらの、お父さんの晩御飯作り。
台所に立つ人は、予め何を作るかを決めて、立っている。
それは、冷蔵庫のチェックから始まり、買い物リストを作り、なるべく余計なものを買わないように、どこのスーパーで買おうかと考え、満を持して作り始めるのです。
それは、まるで発表会まで練習を重ね、調整をし、最終的にひとに披露する、オーケストラの指揮者のよう。
ドラえもんのように、ポケットがあって、麻婆豆腐って言ったら、出てくるわけではないので、下準備をして作り始めるのですが、この時に重要な脇役が控えていると、とても楽しい時間へと変わります。

助さん、格さんのように、セットでなくてはならないのです。
助さん役は、ハイボール。
格さん役は、音楽です。
これが、じつに楽しい。
これほど、楽しみに向かって一直線の快楽のような時間は、日常の中では、そうあるものではなさそうです。
ガーデニングが好きなのは、ガーデニングそのものが好きだから。
映画も、読書もすべて、スキだからなのです。
しかし、台所仕事とは、スキになる為に、助さん格さんがいなくてはなりません。
そして、あれやこれや、とタクトを振って、3品、4品と出来上がっていく料理たち。
こうなると、一緒に食べると言うよりは、出来上がりを早く食べてもらいたい気持ちのほうが上回っているので、ずっと立ちっぱなしでいるわけです。
それが、そもそも楽しいのです。
台所には、嘘がない。

余韻
意識するかしないかレベルなのですが、クッキーづくりの娘も、3品4品作る父も、怒涛の如く作り終えた後は、まるでカーテンコールの後のような感じではないでしょうか。
しばらく、席を立とうとしない、観客のような。
洗い物まで終えた時の、余白の台所。
プロではないので、たいした料理ではなくても、満足した家族の表情が、快楽の解放から、就寝までのまったりタイムの入り口である事を物語っています。
これでいいのだ、ではなく、これがいいのだ。
毎日が自分の言葉で綴られていくと、我が家こそ、他にない心地よさがあるものだ、と感じます。
否定ではなく、肯定する
こんな感じで、台所の物語を書いてみました。
正直、毎日つくるのは大変です。
面倒くさいの偏差値がトップクラスです。
なので、否定ではなく、肯定する意味の物語を書いてみました。
この物語のあとに、自社が進める素敵なキッチンを提示してみてはいかがでしょうか。
コピーライターをコンセプト設定の段階から参加させてみてはいかがでしょうか。
プロダクトのまえに、まずコンセプト在り。
きっと御社のブランド力に貢献すると思います。
犬の散歩の時間です。
ではまた!