【リフォーム業界の方へ】日常をストーリーテリングしてみる。

物語化で、価値の変換を狙う

物語を読む。
意図して読んでみたい本はいいのですが、読みたいと思っていない本は、視界に入ってもスルーします。
読んでみたい本とそれ以外の違いはなんでしょうか。
興味や探求心など考えられますが、「それってオレに何の関係があるの?」ではないでしょうか。

例えば、女性のファッション誌、囲碁将棋の本、海外のロマンティックな本は、私にとって何の関係もありません。
強いて言えば、女性誌は、その本の世界で、どんな言葉を使い、それをどんな色で表現しているのか、という資料的には手に取ることはあります。
買いませんけどね。
ただ、クライアントが囲碁将棋が好きだったり、有段者だったりするときは、買います。読みます。そして、エッセンスを汲み取り、チェスとの違いや、空手との比較、はたまたその攻防を企業内のインナーブランディングに用いたりするかと思います。

重要なのは、実際にやってみれば良いのですが、将棋にしても、囲碁にしても、なかなか時間が作れない時は、少なくとも、「どんなものなのか」くらいは、把握しておくことですね。
そうしておくと、まったく別の事象であっても、物語を創る際に、とても幅と深みが作れます。
つまり、体験まではいかなくても、体験したかのような疑似の記憶として、自身に定着していきます。

物語化は、疑似でもいいので、体験をしておく

セールスレターと言えばそうなのでしょうが、わたしが提案するレターは、8割が日常の物語化です。
残り2割くらいに、リフォーム展示場への案内や提案したい空間、という割合になります。
その8割に「価値の変換」を目的とした、読み手の遠い記憶や体験したことへ、シナプスのように刺激を与えていきます。
つまり、読み手の心理面に浮かぶ「心象風景」を「少しユニークな視点で言語化」していく、ということになります。

窓には、希望が映っていた

閉じた目の裏側に、昨日の出来事が繰り返し流れてくる。
なかなか眠れない。
私は、小学5年生。父の転勤で、田舎から都会に転校することになってしまった。
前いた学校では、どちらかというとクラスでも人気者で、何も疑うことなく学校に行けてた。
クラブ活動のバトミントンでは、ペアで県内での大会でも準優勝するくらい、活動的でもあった。
転校生として、初日の挨拶でも、バトミントン部があるみたいなので、私も入りたいと自分から担任の先生に言うくらい、積極的に馴染もうとしていた。
特に問題もなく、むしろ興味の対象のせいか、クラスのみんなや、バトミントン部の子たちが話しかけてきた。
あまりにも、スムーズに、そしてこれからの楽しみな出来事が待っているようで、その日にバトミントン部に入部した。
帰宅後、田舎にはない、明るく開放的で、みんながキラキラしている様子を、夕飯の支度の母の背中越しに、一方的に喋っていた。
ところが、だ。
二日目の朝。朝練があると言うので、わたしはこれまでの実力をみんなに知らしめるべく、まあまあ気合を入れて学校へと向かった。
部室前に着くと、数人の子たちと顧問の先生が用具を出したりしながら喋っていた。
「おはようございます!」と元気よく私は言ったけど、返事は先生からしかなかった。
「ん?」と思ったけど、とにかく朝練は時間がないので、集合した生徒から順番にグラウンドを走ったり、素振りの練習を始めていた。
数十名が集まってきたところで、先生が「よーし、二人一組になって、ラリーやって」と号令がかかった。
すぐさま、心得のある子たちは、いつものペアになっていったが、わたしに「一緒にやろうよ」という生徒はいなかった。
それでも、先生がすぐに気づき、「おーい!俺とやろう」と言ってくれた。
言ってくれたのはうれしかったけど、こころのどこかから、黒い嫌な感じが湧いてきた。
それでも、まさか昨日あれほど、仲良しモードになっていたのに・・。まさか・・。

決定的に「仲間外れだ」と確信したのは、朝練が終わって、教室へ向かう時だった。もうその頃には、こころの黒いシミの輪郭ははっきりしていたけど、勇気を持ってある生徒に話しかけてみた。
「昨日の歌番組見た?」
困惑とでも言うのか、口は今にも喋りそうな感じだったけど、視線を合わせることなく、無視された。
その日一日中、給食の時も、昼休みの時も、誰も喋りかけてこなかった。
初めて経験する、生き地獄だった。


絶望の学校時間が終わり、その日の放課後の練習はいかずに、帰宅を急いだ。
早く安全な我が家に帰りたかった。たぶん急ぎ足で、顔もこわばっていたんだと思う。家の玄関を開けて、居間にいる母に悟られまいと思い、まっすぐに自分の部屋に行き、つくえに突っ伏した。
まるでわたしがとても大きな罪を犯したような、解決策が全く分からないような、心境になり、こころの黒いシミが全身に被さるような感覚になってしまった。

怖い。そう恐怖を確信した時に、一気に嗚咽と共に、涙がでてきた。
いつまで泣いていたかは、忘れた。それから夕飯を食べたのか、お風呂に入ったのか、何も覚えていない。
気づけば、ベッドに横になっていた。
明日が嫌だ。そう素直に思った、と思うが、子供だからなのか、それとも、学校をサボるという手段さえ思いつかなかったのか、いつも通り支度をし、朝練に行った。

今日は、小さい声で先に居た子たちに「おはよう」とだけ言って、自分のラケットを取り出し、準備運動を始めた。
こころに重い負担があるのを、払い落とすように、ラケットを振っていた。
その時、正面から同じクラス子で、わたしの後ろの席の子がこちら向かって来た。
真っ直ぐに私の方に来る。でも、視線はわずかに私から逸れている。それでも、何か意図があるように、こちら向かってくる。
わたしの後ろに置いてあった、数人の体育館用のシューズに視線が向けられていたのが分かったので、彼女の進行を邪魔しないように、素振りをしながら横にずれた。
とその時。まさに、すれ違う瞬間に、彼女の口から、小さい声で「大丈夫?もう終わるからね」と私だけに聴こえるように配慮したトーンでささやいてくれた。
わたしは、意味が分からず、返事はしなかった。しなかったけど、まるで奇跡の瞬間がわたしに訪れたような感じで、ちょっとだけ素振りを止めて、その子の方を向いた。
向いたけど、その子はさっさと私から距離を取って行った。

朝練が終わり、教室へ向かう階段の踊り場で、それは突然起こった。
「みいちゃん(わたしのこと)、強いね!」。
わたしは、自分の体重がこれほど重いのか、と自覚するくらいに、みんなの後ろから、だらだらと階段を登っていた、まさにその瞬間だった。
「は?」とまったく解せない表情のわたしに、後ろの席の子が「ごめんね、みいちゃん。ほんとにごめん。」と今にも泣きだしそうな表情で言ってきた。それは、なにかから解放されたひとのようでもあり、自分はあなたの味方だよ、と繰り返し言っているようにも思えた。
「みいちゃん、今日からわたしの隣の席に移りなよ」とクラスでもボス的な位置にいる女子が言ってきた。
「はぁ・・うん、わかった」とだけ言えた。
今日は、席替えがあるらしく、希望する者は、自由に選んでいい席替えだった。

その日の、放課後の練習の時に、後ろの席だった子が、話しかけてきた。
実は、毎回転校生が来たら、初日は仲良くして、二日目は全員で無視をする、という度胸試しみたいなことが、ボス的な子の指令の元行われている、ということだった。
わたしは、怒りが込み上げるより、謎が解けてくれたことの方がうれしく、そして、なんとなくようやく、このクラスのわたしのポジションがわかったような気になった。それはつまり、「教室が、わたしの存在込みのクラスになった」ということなのだろう。

嘘でも言ってくれた、あの一言

それから、数日が経った。
朝起きると、家の窓が明るくなって、今日これからの始まりを伝えていた。
その窓からは、特に理由もないけど、柔らかみのある希望を感じた。
そして、なぜか、窓は自分を応援してくれているような気もした。

私の部屋から見える景色は、いつもと変わりはないのだけれど、なぜかその日だけは、景色よりも窓のほうが、意識の中に入ってきたような気がする。
それはきっと、希望を教えに来てくれたんだと思う。

今回ブログでは、窓、転校生、希望というテーマを織り交ぜて書き記してみました。
このように、家の中のひとつひとつに意味を付けたして表現していくことは、少しづつですが、家に対する意識の変化が芽生えてくると思います。
特に、窓というのは外とのつながりがあります。まるで、自分の心を映し出すかのように、景色が変化していきます。
不条理な仲間外れの体験から、窓が教えてくれたものを享受する女の子。
きっと大きく成長すると思います。

ストーリーテリングのスキルで、このように日常の家がもたらすことを丁寧に綴ってみませんか?
それこそ、御社のブランド価値の向上に寄与すると思います。