【リフォーム業界の方へ】ストーリーテリングを応用した、顧客との繋がり方

固定観念を打破するストーリーテリング術

良くも悪くも、思い込みは誰にもあります。
それってそういうもんだよ、というヤツですね。逆に、その思い込みを利用して、本質的なことを伝えたり、別の角度からの視点を伝えたりすると、一気に視界が広がるような、これまでの在り方からの脱却のような感じになってきたりします。

この応用は、なにも商品を売る為だけにとどまらず、商品開発の一助にもなり得ると考えます。
どういうことか?
消費の仕方が変わってきている、ということです。

サンノーリの告白。
色落ちの海苔を使った、抹茶入りのカステラ。お土産品です。
このデザインを依頼された時にも、ストーリーテリングを応用しました。
普通、カステラは一口食べると、口の中にあの甘さが一気に広がります。特に、砂糖の粒々がある辺りは、美味しさの頂点になります。
しかし、このサンノーリは、試食した時点で、抹茶のせいなのか、海苔のせいなのか、カステラ特有の甘さがあまりありませんでした。
つまり、「このようにおいしいですよ」と言いづらい商品だったのです。
さらに、クライアントから、パッケージデザインのどこかに「サンノーリ」と入れなさい、という条件も付与されていました。
「サンノーリ」・・・どうみても、イタリア。
これは、従来の捉え方を変えないと、なかなか難しいことがすぐに理解できました。

そこで、以前読んだ事のある理論を思い出しました。
SINIC理論です。オムロンの創業者、立石さんが編み出した理論です。あまりご存じない方は、下記のサイトで詳しく説明されています。
異様に高い精度を誇るオムロンの未来予測「SINIC理論」、その全貌が少しずつオープンに|市原えつこ(美術家)

このサイトにも書かれているのですが、線形経済(リニアエコノミー)の終焉を思い出したのです。
線形経済とは、これまでの経済の在り方のように、一方通行に、自然からリソースを取る、それで製品を作る、さらに消費して廃棄する経済システムを指します。
これって、まさにこの商品が生まれた理由そのものなのです。
廃棄される運命の海苔を使った商品を作り、売り上げの一部を生産者へ還元する、という循環経済によって生まれたのでした。

ただし、教科書のように、正しいことを声高に叫んでも、お土産売り場で手に取ってもらえるだろうか。
教科書的では、面白さや斬新さに欠けるのでは?と悩んでしましたが、伝え方として、ストーリーテリングを応用しようと思いました。

擬人化してみる

まず、条件として「サンノーリ」という表記をどこに入れるか?試行錯誤の末、商品名にしました。
しかも、海苔なのかひとなのか分かりませんが、「自分が生まれた海の状態が気になってしかたない、何者か」と擬人化してみました。
すると、エシカルな買い物をする層が、少しづつですが、肌感覚であっても増えてきている世相も手伝い、商品の在り方の物語化が一気に加速しました。
「告白」と入れたのも、その擬人化されたサンノーリが、言いづらそうに、「ほんね」を言うわけです。これが「想い」とか「願い」とか「祈り」とか書いてしまうと、道の駅や直売所のフインキになってしまうので、「告白」としました。
また、パッケージの両サイドには、その告白内容が、書き記されています。
まさに、この商品の物語ですね。
あの色とりどりの賑やかなお土産売り場で、このアイキャッチ性のある商品名から興味を抱いてもらい、両サイドのストーリーを読んでもらえる、というデザイン設計は、後に全国お土産推奨品にも選ばれました。良かったですね~、とクライアントさんとも喜び合ったものです。

キッチン道具を擬人化してみる

今回ブログでは、それこそ台所の日常において、使われる道具を取り上げてみたいと思います。
キッチンのリフォームを提案するシーンは良くあるかと思います。
そういう時に、ひとの心象風景に刺さる、物語を差し込んでみてはいかがでしょうか。
それでは、書いてみます。主人公は、泡だて器です。

込み入っている、ヤツ。

いろいろめんどくさい、と思う年頃になった。
それはもう、あるとあらゆるシーンで出てくる言葉だ。学校でもめんどくさい算数が嫌いだ。家でも、父と母とのしょうもない理由での喧嘩もめんどくさい。
そして、ちょっとだけ友人関係でさえも、両親には内緒だが、気苦労が多く、めんどくさくなってきた。
わたしは、小学6年。どちらかというと、我先に舞台に立ちたいというより、裏方の仕事が向いてそうな、一歩引いた性格だと自分でも思う。
そんなわたしの唯一の趣味が、じつはお菓子づくりだったりする。
しかも、クッキーとかケーキとか。結構な時間をかけて、まあまあな数の道具を駆使して。
そしてそれに比例するように、大量の洗い物が出てくる。粉だらけにもなる。
そんな、お菓子作りだけは、面倒だとは一度も思ったことが無い。

お菓子づくりの工程で、なんとも楽しいのが、じつはメレンゲを作っている時だ。そう、あの泡だて器で、ガシャガシャ回していくと卵白が徐々に、ふわふわに様変わりしていく、あの状況の変化がなぜか楽しい。
もちろん食べるときも楽しいけど、あのヘンテコな形をした泡だて器を手にすると、どうも気合が入り、一心不乱状態になるようだ。
その気合の入り具合は、イボの付いた軍手をはめた時の、いつもよりちょっと強くなれた気がする、あのへんな自信のような感覚だ。
ちっともめんどくさくない。でも泡だて器は、めんどくさい形をしている。
入り組んでいる。ヘラのように素直ではない。より良く泡が立つような設計だろうが、先っちょは、込み入っている。
ひねくれている、とも思えるような、あの込み入った先っちょが、重要なのだが、同じような金属感があるのなら、全然トライアングルが好きだ。

質実剛健。
限られた音域と出番。
しかし、コイツにしかできない音色。それも、句読点のような潔さがある。
金属のただの棒を三角にしただけのような構造のくせに、唯一無二感を出している。
素晴らしい。とても尊敬する。本当はきっとバイオリンやチェロのように主役を張りたいのだろうけど、そこは何かをワキマエテ、我の出番を待っている。
これぞ、なくてはならない存在だと、わたしは尊敬する。
それに比べて、泡だて器の軟弱さは、少しイラッとする。
同じ金属のくくりに入れてもらいたくないくらいだ。なんなら、泡だて器で奏でる楽曲をエライひとに作ってもらいたいくらいだ。
でもまあ、そんなに一直線な生き方なんて、母や父が喧嘩しているのを見る限り無いな、と実直に思う。
だから、わたしはひねくれた形の泡だて器に妙な「しっくり感」を覚えるのだと思う。
さて、今度はイボ付きの軍手をはめて、泡だて器を使ってみよう。きっと、最強のメレンゲが出来上がるかもね。

今回のポイント

よくキッチンの道具を紹介する時は、例えばフライパンでも、鉄製の良さ、もしくはテフロン加工の便利さ、または、土鍋で炊くお米の美味しさなど、スペックが中心ですね。
しかも、鉄製の鍋や土鍋になると、その製造元の熱い思いなんかも語られています。
それはそれで良いのですが、優等生的なコンテンツといいましょうか、少し面白味に欠ける内容になりますね。

最期まで読んでもらえるような内容には、主観的な要素の中に、読み手の過去の体験に通ずる箇所が必要です。
今回は、「お菓子作り」がそうです。そのお菓子作りの工程数の多さと、反抗期から思春期あたりの「イライラ感」、そして泡だて器の先っちょの「込み入った感」を並べてみて、ストーリーを構成していきます。
さらに、泡だて器くらいの大きさで、違う領域の似たような金属管を探してきます。これは、泡だて器が「ぐりぐり感」なら、その逆の「まっすぐ感」のモノは無いか?
それが、トライアングルというぴったしのヤツに思い当たりました。

お菓子作りなのに、お菓子の事はほとんど触れずに、あくまで「小6の女の子」の「揺らぎ感」を逸脱せずに、道具たちを擬人化した表現で、日常の台所のひとつのシーンを物語化してみました。

「繋がり方」を考える、コピーライター

商品と生活者の「繋がり方」。
すぐには実行しない将来のお客さまとリフォーム会社の「繋がり方」。
長期入院患者とリハビリの先生との「繋がり方」。
はたまた、企業内で、経営層と従業員のこれからの「繋がり方」。
建築物とそこに居るひととの「繋がり方」。
見えている「繋がり」と見えていない「繋がり」を、探し当て、言語化していきます。
その言語化していく先には、課題解決というと大げさですが、これまで意識しなかった事象や対象への、「温かみのある配慮の設置」を目指します。
リブランディングの仕事でもそうですが、再構築するには、そうしなくてはならない理由の明確化、そして批判ではなく「肯定する」ことがとても大切です。この、ポジティブに寄り添うような否定ではなく肯定する、という姿勢があるから合意形成へと進んでいきます。
わたしが描くストーリーテリングには、そのような「繋がり方」を提示してきました。

ご相談事などございましたらメールにてお願いします。