【虫の知らせ、から本質に迫ってみる】コピーライターの日常

毎日、暑いですね。この暑さがウェルカムなのは昆虫たちだけかもしれませんね。
夏の虫は、カブトムシ、クワガタ、セミ、そして睡眠を妨害する蚊でしょうか。
今回はそんな虫から、コピーライターはいろんな連想ゲームをしています、というお話です。
「虫の知らせ」。
なぜ、虫なのでしょうか。なぜ、虫というカテゴリーなのでしょうか。
何かを知らせるのが得意な犬ではいけなかったのでしょうか。
何かを伝えるのが得意なハトではいけなかったのでしょうか。
朝だけ強い、ニワトリでは役不足だったのでしょうか。
なぜ、虫なのか。
何らかの虫が「ご主人様、誰か来たようです!」というシーンがいったいどういうシーンだとありえるのでしょうか。
ググればすぐに分かるのですが、その前にまず、修行のように、鍛錬と思い、コピーライターは考えます。
しかし、この「虫の知らせ」という言い方は、昔から言われていましたね。
この「むかしから」というあたりに、うずうずしてくるのです。



昔から言われている、ということ

「虫の知らせ」以外でも、「虫の居所が悪い」とか「虫唾(むしず)が走る」という表現は昔からあります。
これらに共通することはなんでしょうか。
「虫の知らせ」は、何かよからぬ事を知り得た状態。
「虫の居所が悪い」は、何らかの理由でイライラしている状態。
「虫唾が走る」は、何らかの理由で嫌悪感に支配されている状態。
どれも「虫」は、ネガティブな感情を抱かせていますね。
少し虫に同情しつつも、ここら辺が思考訓練の限界でしたので、調べました。
そもそも、その虫というのは、人の体内に3匹居て、人が寝ている時にエンマ大王に告げ口をして、その人を地獄行きにすることを仕事としているようです。
簡単に言えばそういう事なのですが、もう少し具体的な事を足すと、結構この虫たちは悪い奴らです。
この3匹の虫たちの仕事は、ひとが死ねば自由になるという宿命があるので、人が眠っている時の「庚申の日」だけ外に出られるので、エンマ大王にここぞとばかりにその人の悪行を告げているのです。
もう、同情はしません。


ここで視点と解釈を変えて、言葉で居場所を見つける、という事を考える

やや無理かな、と思いながらも、今一度なぜそんなことを昔の人は言っていたのだろう、と考え続けました。
たぶん、昔のひとは「暇」だったのだろう。きっとそうだろう。やることなくて、「ヒマ」過ぎて自省に近いことしか考えなかったのだろう、と思った時に「ひま」→「ヒマ」→「マ」→「間」と連想しました。
わたしも、ヒマだったのです。虫から間にジャンプしてしまいましたので。
前回のブログで「音の絶え間」という表現をしていたのを思い出しました。
これって実は世のコピーライターさんは思考中に「!」と煌めく瞬間だと思いますが、「無理かな」から「いやいやこれは、言わねばならぬ事かもしれぬ」とちょっとだけ何かを見つけた感が脳内を支配しだすときです。
「音の絶え間」とは、音が無い時間を言います。
「無い」といえば佐賀県も「何もない」が代名詞のようだとも、前回のブログで書きましたが、いやいや実は「間」について調べると奥が深かったのです。
まず「間」に関する言葉を並べます。
「間がある」、「間取り」、「間を置く」、「すき間」、「間違い」、「間が抜けている」、「束の間」、「床の間」など。
「音の絶え間」とは、楽曲の音と音が途絶えた時を言います。瞬間的に、静寂な時間が発生するのです。
音の余白とか余韻のような感じでしょうか。
住居や時間に関する「間」、そして注目したのは「間を置く」でした。
これって、ひとがひとに対して、意図的にする行動ですね。
「間を置く」ことで、これ以上話し合っても、衝突するだけだと判断するとき。
距離を置くことで、その争いを避けて、なんとか和を維持しようとする行動ですね。
しかも、「間を置く」という前後には、文脈があり、争いを避けるわけですから、西洋の0か10という選択ではなく、グラデーションのような考えであり、そのグレーゾーンがあることは、引いては調和とか共存とかを維持する要素だと思いました。

「間」が、待つことをしない現代の何かを解決する、かもしれない

お茶を飲むために、お湯を沸かす。
最初は何もないヤカンの中が、ジワリと動き出す瞬間を眺める。熱が伝わり始めると、熱伝導で沸騰に向けてヤカンの中が忙しくなってきます。川でもそうですが、なぜか水の動きはひとを魅了します。
ほんの束の間ですが、今日これから始動するよ、と自分にスタートの合図を送るような一連の間です。
静かなヤカンから、忙しくなるヤカンには自分の今日一日を俯瞰して垣間見たような気になります。
このような人のこころの動きを紡いで、表現することは、それこそコピーライターの仕事であり、日常であり、生活者のインサイトを考え、引いてはUSP:競合優位性を見出す手段として「間」をテーマにしていくと、いろいろ出てきそうな予感がしています。
「間」をテーマにすることは、マズローの欲求段階説の一番上の「自己実現欲求」にも通ずる企画などが考えられます。
成熟した社会と言われれば言われるほど、その辺りの思考は深掘りするに十分すぎるかと考えます。
どうぞ、個別なご質問お待ち申しております。