【コンセプト開発④】理学療法士の方へ。コピーライターが考える価値の変換。リハビリでパズルを使ってみる。

ひとの「欲」に注視する。

ひとは、食べたい、飲みたい、寝たいなど「欲望」があって行動へと移行します。
あたり前だ、と言われればそうなのですが、その「欲」に「古くて新しい価値へと変換する要素」がありました。

コンセプト開発において、教訓としている例のヤツを再度掲げておきます。

・まず、どういう状態であって欲しいと考えるか。
・その状態には、切実さが内包されていそうか。
・斬新な新しさだけでなく、地続きのような古くて新しい要素がありそうか。
・見出された価値への変換が可能か。
・あって欲しい状態と生活者との関係性が強く構築できそうか。


それでは、なぜリハビリでパズルなのか。
書き記していきます。

古くて新しい価値へと変換する。

組み立てる事自体が目的のジグソーパズル。
大量のピースであれば、数日かけて辛抱強くはめ込み、完成させていきます。
そうして組み終わった時には、達成感、満足感に満ち溢れると思います。
また、娯楽以外でも、目と指先を動かすことで、形状の認識力など、子供の知育玩具として昔から使われてきました。

このAI時代において、超アナログなパズルが、一体どんな理由でリハビリなのか。

きっかけは、今年1月20日に亡くなった入院先の父の病室にありました。
もともと社交的だった父が、コロナ禍で外出もままならない中、自宅で転倒し、骨折をしました。
搬送先の病院で手術を受け、長い長い入院生活が始まるのです。
結論から先言えば、1月20日の誤嚥性肺炎で亡くなるまで、一度も自宅に帰宅できませんでした。

長引く入院生活ですが、そもそも外科的な骨折での入院+リハビリですので、骨折箇所以外はとても元気。
お見舞いに行っても、果物を持ってこい、うなぎが食いたい、ビールを飲みたい、など食欲旺盛でした。
枕元に飾られる孫との写真も日に日に増えていく感じでした。

母と一緒に父のお見舞いに行った時に、父と母の会話の中に、きっかけのヒントが含まれていました。
確か、このような会話をしていたと思います。

母:「こんにちわ。お加減はどうですか?今日は桃をむいてきましたよ」
父:「おお、ひとつくれ」
母:「そんなに慌てて食べないで。のどに詰まらせるよ」
父:「ううう、美味い」
母:「病院では、あんまり果物は出ませんか?」
父:「あんまりでないな」
母:「そんなに慌てないで。退院したらたくさん食べれるから」
父:「美味しいなあ、この桃は。また持ってきてくれ」
母:「少し瘦せたけど、まだまだ食欲はOKみたいね」

この最後の言葉。
「食欲」の「欲」という言葉に、ピンとくるものを感じました。

価値の変換ポイントを見つける。

またある日、父がリハビリをするので、病室から介添えしながらリハビリステーションまで同行しました。
足の訓練や腰のリハビリ体操など、症状に合わせてみなさん頑張っておられました。

テーブルでは、女性スタッフさんと2名の患者さんが折り紙を使って、ちょっと複雑な形のものを作っておられました。
父は、歩行訓練をしていたため、やることがない私はそのテーブルのスタッフさんに「それも訓練ですか?」と聞いてみました。
スタッフさんは患者さんの指先を見ながら私に「はい、そうです」、と答えてくれました。

応えてくれましたが、少し元気が無いというか、ちょっとだけ寂しそうというか・・。
「でも、なかなか男性患者さんの参加が難しいんですよ」とこちらが聞いてもいないのに、唐突にボソッと言われました。
わたしは「そうなんですね・。男性の方は、折り紙とか面倒くさいのですかね?」と応答すると「たぶん、面白くないのかもしれません。リハビリ課のひとつの課題なんですけどね・・なかなかね・・」と課内のプチ問題であるようなことを言われてました。

歩行訓練を終えた父が私の所に戻ってきたので、じゃあ失礼します、と挨拶をしその場を後にしました。
病室にもどると、父がある写真を指して、こういうのです。
「〇〇子ちゃんは元気かい?」〇〇子とは、わたしの娘なのです。
でもその写真は10年以上も前の写真で、まだ2歳とかそんな頃に父と一緒に映った写真でした。
さらに父は「ああ、〇〇子ちゃんと我が家に戻って、美味しいものでもたべたいなぁ」と。
我が家に戻りたい。〇〇子と会いたい。美味しいものを食べたい。

なんとなくですが、この辺りで、「欲」という漢字が遠くから近寄ってきたような感覚になりました。
そして、私の視線の先に在る、その写真をじっと見つめていると、写真をパズルにできないだろうか、とひらめきました。

ひとの「意欲」を組み立てる、というパズル。

組み立てること自体が目的のジグソーパズル。
それを、組み立てた後でも楽しめるパズルへと変換する。
「欲」があるから「行動」に移せる。
リハビリのスタッフさんの一言が思い出させる「男性患者さんがなかなか参加してくれない。折り紙だと面白くないのかも」。

病院を後にしたわたしは、父の病室に飾ってあった、あの写真を手に、そのまま知り合いのパズル屋さんへ直行しました。
写真をスキャンしてパズルにしてもらおうと考えたのです。

後日、パズル屋さんから連絡があり、出来上がったパズルを見て、まあしょうがないのですが、パズルの罫線が娘や父の顔に入っているのが、まるで顔をずたずたに切り裂いたような印象を受けたので、大丈夫かなぁ~と思ったのですが、仕方ありません。
その足で、父の病院へ向かいました。
まず、軽く父と会話をし、すぐにリハビリ課へ行きました。
今日はテーブルでは何もやっていなかったのですが、先日の女性スタッフさんが受付に居られたので声をかけてみました。

女性スタッフさんに、今日の父はリハビリの予定があるのか?
リハビリ内容は何か?と聞いてみたら、やはり骨折なので歩行訓練という内容でした。
そこで、写真とパズルを見せて、実は写真をパズル化してみたので、時間があるのであれば、そのテーブルで父にやらせてもよいでしょうか?と聞いてみました。
ルール以外は許可できない、と言われるかと思いきや、まずそのスタッフさんが「ええ?これは見たことない!」と驚きの反応!
そこで私は、簡単に「ひとの欲に注目し、その人の思いれのある写真をパズル化し、リハビリで使ってもらったら、男性患者さんもいいかなぁと思いまして・・」と補足を入れました。

スタッフさんは、一応リハビリの主任に確認するから、その写真とパズルを貸してください、と言われ、主任の所へ行かれました。
数分後、主任とスタッフさんが、少しだけ笑顔で私の所へ来て「これは面白いかもしれない。これまで、折り紙しか思いつかなかったので。今日のお父様の歩行訓練の後、ちょっとやってみましょうか?」と逆にご提案して頂きました。

実際にリハビリでやってみた。

最初は、意外とピースを探すのに時間がかかり、ああ父もここまで認識能力というか、探す機能が衰えたんだ、と複雑な心境になりましたが、本人は飽きるどころか、とても集中していました。
完成させるぞ、という強い意志を感じましたし、何よりもそんな父の様子を見るスタッフさんや主任さんたちが、興味津々という状況でした。
理学療法士という専門家の立場から見れば、企画を考えた私よりも、観察するポイントが多岐に渡るのでしょう。

そして約15分後、最後のピースを埋め込んだ父は「よし!」と一言。
周囲のスタッフさんや主任さんを笑顔で眺めて、「もう一回部屋でやるから、ばらしてくれ」とパズルへの執着心をみせてくれました。
これは、折り紙だと興味も意欲も湧かないけれど、自分に関係する写真には、当然ながら能動的にリハビリに取り組む、という事が証明された、ということになります。

古いだけの価値しかない、という思い込みを分解し、そこに古くて新しい価値への変換が誕生した瞬間でした。
こうなると、思い出深い写真を数枚準備して、父の回想パズルのような感じで、毎月違うパズルを準備しようと思いつきました。

可変できることを応用する。

この写真は父が小学生の頃に、姉と撮った写真

これは母と2回目のNYへの旅行

これは、佐賀県人で初めて、博多山笠に乗らせて頂いたときの写真

これらの写真はすべて父にとって忘れがたき過去の記憶ばかり。
単なる写真だけでは、眺めるだけですし、飽きも来る。
その記憶をパズル化するこで、記憶を組み立てるとでも言いましょうか、きっと父の頭の中には、当時のことがリアルに思い出され、少しだけ体温が上がるような感じになったことと思います。

コピーライターとしての観察、洞察、構想、価値の変換、関係性の再構築、これらを総動員したコンセプト開発でした。